カイロプラクティックはアメリカで生まれました。
創始者から始まる、あまり知られていない、ストレートカイロプラクティックをご紹介します。
カイロプラクティックの歴史
1895年9月18日、D.D.パーマーによってカイロプラクティックが発見されました。
それは、病気の原因が脊椎の神経圧迫(サブラクセイション)によるものであるということで、それを取り除くことが目的でありました。当時は、レントゲン、皮膚温度測定器などの科学的に証明するものもなく、ただ椎骨を動かしたらよいというような考え方で、運が良かったら、正しい部位にアジャストメントを行うことが出来たという時代でした。
発見者であるD.D.パーマーの息子、 B.J.パーマーによって1910年レントゲン、1923年ニューロカロメーター(皮膚温度測定器)などの導入により科学的に、どこを、いつ、アジャストメントするかと、発展が進みます。
発展者B.J.パーマー
創始者D.D.パーマーは背骨の間から全身にひろがる神経の干渉が身体不調の原因であると、背骨全体をターゲットにカイロプラクティックを行いました。
発展者であるB.J.パーマーは背骨に起こる複数の干渉を一箇所のアジャストメントで解放できる学説を発表。これを証明するため医師立会いのリサーチクリニックを創設し20万人以上の臨床研究を1930年代から1950年台後半まで行い、”The Adjustment Specific”上部頸椎カイロプラクティックを完成させました。
ストレートカイロプラクティック
この頃に、B.J.パーマーの考えに異を唱える人達がたもとを分かれ、病気の治療、症状の緩和を目的にマッサージ、超音波、電気、テーピング、温熱療法、などあらゆる治療法を併用した医学的なアプローチをおこなう学校があらわれ、カイロプラクティックは理論、考え方と大きく分かれていきました。
ストレートとミックスという2つの流れができたのです。米国では医師と同等の免許資格と発展しましたので、法で定められたルールの中で、ミキサー系は医学に近づき、医師が症状に合わせて薬を出す様に、ミキサーは症状を緩和するための処置を行いました。
日本では、症状でお悩みの多くの方は病院、整骨院、等の医療をまず受けられると思います。結果が良ければ、このホームページを見ていないと思います。
現在、日本でのカイロプラクティックは、米国の様に法制化されておりません。結果、統一されたカイロプラクティックという定義もあやふやです。発祥国である米国ですら、大きな正反する考えのカイロプラクティックが日本に入って来て、他の手技療法とミックスしてしまい、イメージが根付いてしまっているようです。
カイロプラクティックのイメージを、多くの方はマッサージして骨をポキポキして、肩こりや腰痛、疲れた身体を癒してくれるサロン、または、整体そのものと思われているようです。そして、現実に多くのカイロプラクティックがミックス系の対症療法を目指して行っています。
当オフィスは、外部から症状を治そうとする対症療法ではなく、創始者が唱えた、原因は脊椎の神経圧迫(サブラクセイション)によるもので、それを取り除くことで、「ご自身に内在する生命エネルギーが治癒に向かわせる」ということだけを目的とする、ストレートカイロプラクティックを提唱。
発展者B.J.パーマーが完成させた、The Adjustment Specific 上部頸椎カイロプラクティックを実践しています。