明確にするカイロプラクティックの科学
カイロプラクティックは当初から背骨のズレと神経システムに着目していました。
発展者であるB.J.パーマーは1906年にナーブトレイシング(神経追跡法)を、1908年にはナーブトレイシングをシステム化したメリックシステムを発表しています。
カイロプラクティックは、どの椎骨がズレ、神経圧迫を起こすと、どのような症状と関係があるかという学問でした。
構造的な背骨のズレを調べるためにB.J.パーマーは、1910年にSpinograph(レントゲン)を世界で初めて脊柱検査に使い始めました。
そして「メジャーと成りえる原因と、マイナーと成りえる原因があるのではないか」という研究がなされ、1918年メジャーとマイナー論(メジャーは上部頚椎、頸椎3番以下はマイナーという考え方)を発表。
1923年にはN.C.M.ニューロカロメーター(脊柱のズレによって発生する神経圧迫の有無を測定する測定器)が開発され、1928年には神経圧迫の状態をグラフにできる、N.C.G.H.ニューロカログラフ(当オフィスで使用しているTytron-C5000サーモグラフィーの原型)が開発されます。N.C.M.H.グラフリーディングにより
「いつアジャストメントを行い、いつアジャストメントをしてはいけないか」
などが研究されるようになりました。
B.J.パーマーはレントゲン、ニューロカロメーターといった機械的な分析を持ちこんで神経干渉部位を客観性を持って追求していきます。そして、1930年ホールインワン学説(H.I.O.学説)を発表します。
1935年には全米のカイロプラクターが抱かえている最も難しいケースを解決するために、B.J.パーマーリサーチクリニックを設立。そこでは、医師の行っている全ての検査器具を設置し、医師によって検査を行いました。そして、カイロプラクターはH.I.O.学説でのアジャストメントを上部頸椎だけに行い、医師と共に検証していきます。リサーチは、14年間続けられ多くの記録が残されました。
21世紀の現代においても発展者B.J.パーマーが唱えたH.I.O.学説は続いており、神経の流れを干渉している状態、サブラクセイションを客観的に認定する為にニューロカロメーター(Tytron-C5000サーモグラフィー)、レントゲン(姿勢)等の分析を利用しています。