歴史上、リスペクトされる日本人

森久保繁太郎

森久保繁太郎

D.D.パーマーはカイロプラクティックの学校、パーマースクールオブカイロプラクティックを設立します。森久保繁太郎は1907年、日本人として初めてパーマースクールを卒業しました。ウィスコンシン州ラクロスで開業して4カ月目、免許なしで医業およびオステオパシーを行ったとして起訴されました。まだ法制化されていなかったため、多くのカイロプラクターが医者の弾圧をうけ刑務所に入れられる時代でありました。

前年にD.D.パーマーも逮捕されていてD.D.パーマーの釈放後、息子のB.J.パーマーは、カイロプラクターを訴訟から守るための組織、ユニバーサル・カイロプラクティック協会(UCA)を創立しました。その最初の仕事で、弁護士トムモリスは、次のような説明で森久保の正当性を主張しました。

「カイロプラクティックは、医業、オステオパシーとは異なる。私たちは疾患を治療するのではない。患者の病気の原因を取り除くのである」

「カイロプラクターは、サブラクセイションを探し、それを矯正するのである」

さらにオステオパシーを学んだカイロプラクターを証言台に呼び、カイロプラクティックの独自性を説明しました。

「カイロプラクターは、神経系にのみ興味を持っている。オステオパシーには『動脈の原理』があり、ドクター・オブ・オステオパシー(DO)は循環器にのみ焦点を当てる」

裁判の結果、無罪でした。この後、医師によるカイロプラクターの大量起訴時代が続きますが、森久保繁太郎の弁護と同じ論理が用いられ、多くのカイロプラクターが無罪となりました。

これらカイロプラクティックの存亡をかけた裁判と関わる中で、カイロプラクティック哲学は構築され、B.J.パーマーとその弟子たちは、生気論を軸としたサブラクセイションの概念を強化させていきます。

「サブラクセイションは生気生命力(イネイト・インテリジェンス)を阻害し疾患の原因となる」

「カイロプラクティックのアジャストメントは、生命力の阻害因子を取り除く」

法廷の場で説明された「カイロプラクティック哲学」が多くのカイロプラクターを救ったのでした。

この話は10年前、私が塩川スクールで学んでいた時に、講師である塩川兄弟が留学したパーマー大学時代「森久保繁太郎はカイロプラクティックの歴史上、恩人であり沢山の人にリスペクトされていた。同じ日本人としてクラスで称えられたことがある」と話していたのを思い出しました。

参考資料 :
臨床カイロプラクティック 哲学・科学・芸術 塩川満章D.C. [1999]
カイロジャーナル55号 [2006.3.9]