■ 日本人初のカイロプラクター:森久保繁太郎
1907年、森久保繁太郎は日本人として初めて、アメリカのパーマースクールオブカイロプラクティックを卒業しました。

ウィスコンシン州ラクロスで開業後わずか4カ月、森久保は免許なしで医業およびオステオパシーを行ったとして起訴されます。これは当時、カイロプラクティックがまだ正式な医療として法制化されていなかったため、多くのカイロプラクターが直面していた現実でした。

▲ 1900年代初頭のD.D.パーマー。カイロプラクティックの創始者です。
■ 法廷で語られた「カイロプラクティック哲学」
前年には創始者D.D.パーマー自身も逮捕されており、これを機に息子B.J.パーマーは、カイロプラクターを法的に守るためのユニバーサル・カイロプラクティック協会(UCA)を設立しました。
森久保の裁判では、著名な弁護士トム・モリスが以下のように弁護しました:
「カイロプラクティックは医業やオステオパシーとは異なる。
私たちは病気を治療するのではない。
病気の原因を取り除くのだ。」
さらに、オステオパシーを学んだカイロプラクターを証人として召喚し、次のようにカイロプラクティックの独自性を説明しました:
「カイロプラクターは神経系に関心を持ち、
オステオパシー(DO)は循環系に焦点を当てる。」
その結果、森久保は無罪となりました。この論理は後に多くの起訴に対する弁護に応用され、多くのカイロプラクターを救いました。
■ カイロプラクティック哲学の確立と「生命力」の概念
この時代の訴訟の中で、カイロプラクティック哲学は急速に構築されていきます。B.J.パーマーとその弟子たちは、以下のような信念を発展させました:
- 「サブラクセイションは生命力(イネイト・インテリジェンス)の流れを阻害し、疾患を引き起こす」
- 「アジャストメントはその生命力の障害を取り除く」
裁判所という法的な場で語られたこれらの哲学は、カイロプラクティックを単なる手技療法から、独自の哲学と科学と芸術を備えた療法へと昇華させるきっかけとなりました。
■ 私の学びと誇り
このエピソードは、私が塩川スクールで学んでいた頃に聞いた話としても強く記憶に残っています。
塩川兄弟がパーマー大学に留学していた際、現地の講義で「森久保繁太郎はカイロプラクティック界の英雄であり、同じ日本人として誇りに思う」と称えられていたとのこと。
カイロプラクティックを守るために戦った森久保先生の功績は、今もなお私たちの施術の土台に流れ続けています。
■ 参考資料
- 臨床カイロプラクティック 哲学・科学・芸術 塩川満章D.C.(1999)
- カイロジャーナル55号(2006年3月9日)