B.J.パーマーはリスティングによるフォースの侵入、アジャストメントの方向、ラインオブコレクション、ハンマーハンドとネイルハンドの関係を研究しています。
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B.J.パーマーはリスティングによるフォースの侵入、アジャストメントの方向、ラインオブコレクション、ハンマーハンドとネイルハンドの関係を研究しています。
背骨は皮膚、筋肉に覆われていて直接見ることができません。メリックシステムで対象部位を予想、姿勢を観察して、パルペーション(接触検査)で変位を割り出していた時代に、スパイノグラフ(レントゲン)で背骨の不整列を確認できることでより科学的な要素が加わり、アジャストメントの方向、強さ等の研究が進んでいきました。
B.J.パーマーは、構造的な背骨のズレを調べるために1910年にSpinograph(レントゲン)を世界で初めて脊柱検査に使い始めました。
ナーブトレーシングで神経のルート、メリックシステムで症状、レントゲンで背骨のズレと、カイロプラクティックの礎がこの時代に揃い始めたのです。
※ X線はカイロプラクティックと同じ1895年に見つかっています。
1908年にB.J.パーマーによって発表されたメリックシステムは、お悩みの主訴、例えば、坐骨神経痛で太ももの後ろ側に痛み、しびれ感があったとすれば腰椎の5番。心臓なら胸椎2番、胃に問題があれば胸椎5番というように、症状から推測される背骨の神経部位をターゲットに行われます。
ナーブトレイシング(神経追跡法)で研究された、症状部位との神経ルートに問題があるという考え方です。
カイロプラクティックは創始者D.D.パーマーが行ったファーストアジャストメント以来、手によって背骨のズレを正すことで健康を取り戻すことが行われてきました。なぜ、背骨を正すとお悩みが解決するのか。
ナーブトレイシング、メリックシステムは、実際に解決に向かわせたのです。
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背骨のズレと神経システム
脳と全身の細胞、器官は神経を介して情報をやり取りして、生命活動を行っています。
生命活動を制御するためには、情報が必要です。
目で見たものが瞬時に脳に届き、身体は当たり前ように反応する。耳で捉えた音を理解して、喉を振動させて言葉を発する。手で触ったものの感触も神経を介して情報が届いています。
また、内臓の働きウイルスが体内に侵入すれば免疫システムにより排除しようと発熱、嘔吐、下痢などの生き抜くための生体反応が起こります。
これらすべての動作、活動の情報が神経を介して中枢に届き、カラダは情報に見合った行動が行われています。
頭蓋骨が脳を守り、背骨が脊髄神経を守ります。椎間板で繋がる骨と骨の間から末梢神経が全身へと伸びています。この末梢神経のルート、何番目の椎間孔から出る神経がどこに繋がるかの解剖研究は昔から行われていて知られています。
メリックシステムはナーブトレイシング(神経追跡法)により椎骨何番目のズレ(干渉)による神経系の影響、というものをカイロプラクティックに取り入れたことで、科学性を取り入れたものへと発展していったのです。
カイロプラクティックは当初から背骨のズレと神経システムに着目していて、B.J.パーマーは1906年にナーブトレイシング(神経追跡法)を、1908年にはナーブトレイシングをシステム化したメリックシステムを発表しています。どの椎骨がズレ、神経圧迫を起こすと、どのような症状と関係があるかという学問でした。
D.D.パーマーはカイロプラクティックの学校、パーマースクールオブカイロプラクティックを設立します。森久保繁太郎は1907年、日本人として初めてパーマースクールを卒業しました。ウィスコンシン州ラクロスで開業して4カ月目、免許なしで医業およびオステオパシーを行ったとして起訴されました。まだ法制化されていなかったため、多くのカイロプラクターが医者の弾圧をうけ刑務所に入れられる時代でありました。
前年にD.D.パーマーも逮捕されていてD.D.パーマーの釈放後、息子のB.J.パーマーは、カイロプラクターを訴訟から守るための組織、ユニバーサル・カイロプラクティック協会(UCA)を創立しました。その最初の仕事で、弁護士トムモリスは、次のような説明で森久保の正当性を主張しました。
「カイロプラクティックは、医業、オステオパシーとは異なる。私たちは疾患を治療するのではない。患者の病気の原因を取り除くのである」
「カイロプラクターは、サブラクセイションを探し、それを矯正するのである」
さらにオステオパシーを学んだカイロプラクターを証言台に呼び、カイロプラクティックの独自性を説明しました。
「カイロプラクターは、神経系にのみ興味を持っている。オステオパシーには『動脈の原理』があり、ドクター・オブ・オステオパシー(DO)は循環器にのみ焦点を当てる」
裁判の結果、無罪でした。この後、医師によるカイロプラクターの大量起訴時代が続きますが、森久保繁太郎の弁護と同じ論理が用いられ、多くのカイロプラクターが無罪となりました。
これらカイロプラクティックの存亡をかけた裁判と関わる中で、カイロプラクティック哲学は構築され、B.J.パーマーとその弟子たちは、生気論を軸としたサブラクセイションの概念を強化させていきます。
「サブラクセイションは生気生命力(イネイト・インテリジェンス)を阻害し疾患の原因となる」
「カイロプラクティックのアジャストメントは、生命力の阻害因子を取り除く」
法廷の場で説明された「カイロプラクティック哲学」が多くのカイロプラクターを救ったのでした。
この話は10年前、私が塩川スクールで学んでいた時に、講師である塩川兄弟が留学したパーマー大学時代「森久保繁太郎はカイロプラクティックの歴史上、恩人であり沢山の人にリスペクトされていた。同じ日本人としてクラスで称えられたことがある」と話していたのを思い出しました。
参考資料 :
臨床カイロプラクティック 哲学・科学・芸術 塩川満章D.C. [1999]
カイロジャーナル55号 [2006.3.9]
D.D.パーマーがファーストアジャストメントを行ったテーブルです。後に2分割された形に変わっていきます。D.D.パーマー、B.J.パーマーが行ったカイロプラクティックではベットではなくテーブルを使います。
カイロプラクティックは1895年9月18日アメリカ人D.D.パーマーが磁気治療家として人体の研究の末、17年間難聴を患っていたハービーリラードに行ったアジャストメントにより始まりました。
カイロプラクティックという言葉の由来はギリシャ語で、カイロ=手、 プラクティック=なされた、つまり、カイロプラクティックとは「手によってなされた」という意味でD.D.パーマーの患者であり友人でもあった牧師、サムエルウィード によって命名されました。